総合危機管理学会(SIMRIC)通信 No.9  2020/03/12

 

今般、新型コロナウイルス感染者でお亡くなりになった方に心より哀悼の意を表しますと共に、現在感染で苦しんでいる方にお見舞い申し上げます。併せて、日々、この感染症に対して対応されておられる医療従事者をはじめとするすべての方々に対して深く敬意と感謝を申しあげます。

​​​​​​ 今回のSIMRiC通信は、巻頭エッセイにおいて、8号に続き、交通の専門家である嶋村会員(本学会常務委員)から、2019年台風15号に対する思いを掲載しています。台風15号、19号は、それまで台風の直撃による被害を他地域と比較して受けていなかったと思われる千葉県において、厳しい被害を生じさせました。従来意識していなかった交通や停電関係の被害から危機管理への教訓と示唆が読み取れます。
また、今回のコラムは、八田会員(本学会常務委員)による、海外渡航に係わる危機管理超面白エッセイ第2弾(ガーナ編)も掲載しております。
 SIMRiC通信では、危機管理に絡む多様なエッセイやコラムを、会員の皆様から募集しております。論文にする前の研究ノート的な内容でもかまいません。是非、事務局まで、気楽にご投稿いただければと存じます。
※なお、エッセイやコラムの内容や意見は執筆者個人に属すもので、総合危機管理学会としての見解を示すものではありません。

◇コンテンツ◇
1 【総合危機管理学会「巻頭エッセイ」】(嶋村宗正)
2 【総合危機管理学会 コラム】 (八田珠郎)
3 【学会からのおしらせ】
   (1) 次回学術集会について
4 【危機管理にかかわる他学会、他組織での関連イベント・行事等】


1【総合危機管理学会「巻頭エッセイ」】

2019年台風15号におもう - その2 停電について -

常務委員会委員 理学・工学分野 嶋村宗正

 風台風というと、風車の倒壊や鉄塔の倒壊等を思い出す。2002年の台風21号は茨城県で9塔もの鉄塔が倒壊した。実際に2019年の台風15号でも鉄塔が2塔倒壊した。その意味では確かに強い風が吹いたということである。鉄塔が倒壊すると、停電ということになるが、配電システム上、送電線1回線、変圧器1台、発電機1台などの機器装置の単一故障時に、原則として供給支障が生じないように電力供給システムは設計されている。これは多くの国でも同様の運用がされており、1配線が断線しても、別ルートからの供給がなされ、長時間の停電は避けられるというようになっている。我が国における電気配電システムは他の国に比べるとたいへん安定しているという評価が高い。NTTファシリティーズによれば、年間の停電回数は0.16回(2014年)、フランス0.9回、イギリス0.61回、カリフォルニア州では1.05回等と我が国における停電回数は諸外国に比べて少なく、我が国における配電システムの安定性の高さを物語っているという。おそらく、我が国では基本システムとは別の何かがあり運用がうまく行われているということだ。
 台風15号がもたらした課題の一つは大停電である。千葉県を中心に関東各地で長期間にわたり多くの住宅で停電が続いた。停電に至った原因としては台風の強風に伴う樹木の倒壊に関係した断線で挙げられる。要は、小規模な断線が様々な場所で発生し、その復旧に多大な時間を要したというものである。また、停電復旧といいながら、停電を続けていた家があったことも問題点の一つといえる。
 千葉県において停電が長期化した原因として、断線箇所の把握が遅れたこと、その復旧作業が広範囲、多箇所であったため、作業員の配置ができなかったこと、断線した箇所が狭い道、多くの倒壊樹木、がけ崩れを伴った断線現場など、電気工事以前の問題が多かったことなどが挙げられる。途中から、周辺の他県からの応援を得て作業にあたったものの、倒木の処理、道路の復旧作業と重なり、電線の張り直し作業が思ったほど進まなかった。
 このような問題の背景としては、過疎地域を結ぶ貧弱な交通路、貧弱な森林管理の2つがあるといわれている。
 千葉県は丘陵地域が多く、集落に入るための交通路として山の斜面を切りひらいた狭い道路である場合が多い。その道路に沿って配電線や電話線などが通り、これらに山林の樹木が迫っている。日本全国どこでも似たようであるが、千葉県においても集落における高齢化や過疎化が進み、山林の管理が行き届かず、荒れ放題になっているという。
 杉の木というと、昔は1本3万2千円で売れた時代もあったようだし、最近でも花粉症でたいへんお世話になっている樹木である。しかし、今では伐採費用を考えて木材業者も引き取ってもくれない時代になった。なお、千葉にはサンブスギというブランド杉があり、これは価値がある。しかし、近年病気にかかって弱っている木があるという。
 台風15号では管理が行き届かないまま生い茂った樹木や病気の杉の木などが強風により、電線に引っかかり、あるいは倒木して電柱を倒し、その結果として随所で停電を起こした。狭い道路や倒壊した電柱や倒木により、復旧作業が進まなかった。この結果、千葉県内では長期間にわたって停電が続くことになった。
ここまでは、マスコミでも指摘されている。ところが、別の観点で停電事故の課題を指摘する人もいる。
 福島原発事故以降、現場を知る人材、地元の配電状況を理解している技術者が減ってきているのではないかとの指摘である。この現象は、東日本大震災の福島原発事故以降に顕著になったという。
 銚子市において、台風の直後に停電した家があった。周囲の人家を見たところ、他の家では明かりがついていた。そこで、まずは電力会社に連絡した。台風直後で地域全体が混乱していたが、なんとか対応してもらうことになった。その後、連絡がないまま、待っていたところ突如電気が復旧した。しかし、冷蔵庫が復旧せず、再度電力会社に連絡。技術者に駆けつけてもらって、何とか冷蔵庫も元に戻った。完全復旧に停電開始から3時間ほどかかった。
 電力会社によれば、停電の直接原因は停電宅近くの電信柱に置かれたトランスの不良であったという。しかし、この家庭における停電復旧の問題は停電開始から復旧作業にかけて説明はなく、その家の状況確認をしないまま、通電されたことであろう。通電火災を起こす危険があることを考えると、停電家庭との調整連絡があってしかるべきであろう。要は、現場作業者と個人宅との情報をやりとりする必要性があるし、そのようなやりとりをする技術者が欠けているのではないかということだ。
 都会における配電線は、需要者の場所を踏まえて、支線が多岐に分岐している。道路工事、建物の工事においても配電線の位置は頻繁に変更されるという。基本的なトラブルに対しては設定された代替えルートでの供給を行うようになっているが、木の枝が絡んで断線を起こした場合などの応急復旧にはその現場における経路を理解していることが求められるという。したがって、地域の配電実情をつぶさに理解した技術者の存在によって停電後の対処の時間に影響する。今般の停電復旧にあたって、地域の配電実情を理解した技術者不足が復旧時間を要した一つの背景にあるのではないか。
 電力会社のホームページで停電解消となった地区において、停電を続けた家庭があったことがマスコミで報道されていた。この問題に、配電経路の複雑さ、その実情を理解した技術者不足という課題が関係しているのではないだろうか。同時多発停電で電力会社はたいへん混乱していたことは理解できるが、地元の配電システムに慣れた技術者による対応の充実が求められよう。
 台風15号の停電災害を通して、過疎地域における電力供給の課題と都市部における現場事情に精通した技術者の存在について一見巡らした。
 我が国における年間の停電回数は諸外国に比べて少なく、この配電技術はたいへん誇れることであり、今後現在のレベルを維持してほしいものである。 以上

2【総合危機管理学会「コラム」】

ガーナ共和国での研究における危機管理
Crisis management for the investigation in Republic of Ghana

千葉科学大学 危機管理学部 環境危機管理学科・航空技術危機管理学科 教授 八田 珠郎

1. はじめに
外務省の分類では、北アフリカのマグレブ(Maghreb、مغرب)諸国はアフリカではない。中東アフリカ局(Middle Eastern and African Affairs Bureau)の中東第一課(First Middle East Division)が担当している。とはいえ、約30年前に初めてモロッコ王国(Kingdom of Morocco、المملكة المغربية‎、ベルベル語: ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ)に行ったときには「アフリカだぁ~」と思い、多少は緊張した。そもそも当時、ロンドン(Heathrow)空港のモロッコ行き待合室は、かなりハズレの方にあった。行ってみると、たくさんの大きな荷物を脇に置いている、髭(full beard)を生やしたオッサンやヒジャブを巻いたオバサンが大勢カサブランカ(Casablanca)行きのモロッコ王国航空の便を待っている。ジブラルタル海峡に面したタンジェ(Tanger)経由であった。乗り込むと何となく機内が黄色っぽいような、オレンジ色っぽいような、茶色っぽいような感じだった。タンジェの着陸時にはほとんど全ての乗客から拍手が起きた。「こういうもんか」と思いつつも、カサブランカに無事着ついたときには、筆者も拍手していた。
砂漠、塩類集積、オアシスの調査のために、アトラス山脈を越え、ワルザザート(Ouarzazate、ورززات )やザゴラ(Zagora、زاكورة)に滞在したが、その何年も先に、まさかサハラ砂漠の真上を飛び越えて、西アフリカのガーナ共和国 (図1および2)に何回も行くことになるとは・・・・・。本学会事務局からの強烈な依頼で今回も再び駄文を書くことになってしまった。

図1 ガーナ共和国(Republic of Ghana)の国旗.19世紀末からイギリスの植民地となり, 1957年に独立. 国旗はアフリカ色(赤、黄、緑). 赤は独立のために流された血, 黄は金などの地下資源, 緑は農業と森林を表す. 黒い星はアフリカの自由の象徴. 面積は日本の約3分の2, 人口は約3000万人(2017年). 民族は, アカン族, ガー族, エウェ族(エベ族), ダゴンバ族(モシ・ダゴンバ族), マンプルシ族ほか. 宗教は, 国民の約半数がキリスト教徒, イスラム教約15%で北部ほど多い. その他伝統的宗教. 

図2 日本からみたガーナ共和国の方角. 正距方位図法だと西北になる. 

2. ガーナに行くことになった理由
ある日、研究所(国立研究開発法人国際農林水産業研究センター、JIRCAS)に勤務していた筆者のもとに、若い同僚の坂上潤一主任研究員(現•鹿児島大学教授、図3)が「八田さん、ガーナやらない?」と言ってきた。これには、TICAD (Tokyo International Conference on African Development、アフリカ開発会議)が関係している。この会議は、日本政府が主体の「アフリカにおける開発」をテーマとする国際会議で、第1回は1993年10月に開催された。TICAD-VIIは2019年8月に日本で開催された。筆者はTICAD-IV(2008年5月)のとき、研究所の広報として「何でオレが行かなきゃいけないんだ?」と思いつつ、横浜の会場にポスターを貼りに行ったことがある(図4)。この会議の中で、アフリカの米生産量を10年間で倍増させることが共同宣言の中に入った。研究所は開発途上国(developing countries)とMOU(Memorandum of Understanding: 国際交流協定、了解覚書、基本合意書)やJRA(Joint Research Agreement: 共同研究契約)を結び、共同研究を実施している。坂上さんの専門は、作物学、熱帯農学、イネの起源等である。彼は、TICAD-IVにおける日本の支援策強化を受け、ガーナでの研究を開始しようとした。彼が考え出した目的と方法は「ガーナ共和国で、これまで稲作に未利用だった氾濫低湿地において、河川流域の稲作に効果的な生産技術を開発し、稲作可能地域の面的拡大を図る」というものである。そこで、筆者の課題は「コメ栽培に必要な天然資源の探査をガーナ国内で行う」となった。ところで、筆者が千葉科学大学に赴任してから、初めて知ったことだが、ナ、ナ、ナント!! 東祥三先生(本学危機管理学部教授)が、TICAD第1回(1993年10月)の議長をやられたとのこと。かなりビックリしました。

図3 坂上潤一 鹿児島大学教授(ガーナ北部Tamale市).

図4  TICAD-IV開催直前.

植物の生育に必要な三要素は、N(窒素)、P(リン)、K(カリウム)である。N は葉肥 (はごえ)とも呼ばれ、葉や茎などの生育を促進させる。このため、光合成には大事である。欠乏すると、葉色が悪くなり生育不良となる。過剰になると、植物体が徒長し軟弱になり、病虫害に侵されやすくなる。Pは実肥(みごえ) 、花肥(はなごえ) とも呼ばれ、開花や結実を促進させるとともに、根を伸長させる。欠乏すると、着花数が減少し、開花と結実が遅延する。Kは根肥(ねごえ) とも呼ばれ、 根や茎葉を丈夫にするとともに、耐病性を高める。欠乏すると、根の生育が妨げられて、葉が縁辺部から枯れる。坂上さんの希望は、三要素のうち「ガーナで、とくにPが入っている鉱物を探してね!!」であった。

3. 成田から経由地のヨーロッパの都市まで
いろいろな種類の注射を打った。イエローカード1)もでた。マラリアの薬もガーナ到着の1週間前から飲み始めた。ドラッグストアやホームセンターでありとあらゆる虫除けの薬や道具も用意した。また、景色を見るのが好きなので、窓側を予約しておいた。髪の毛も短く切った。ダイソーで紙パンツもたくさん買った。菊正ピン2Lも2パック入れた。ガーナの空港で見つかってなんか言われたら「For cooking!」と言えばいいよと誰かが教えてくれた。時計やデジカメも9時間遅らせた。在日ガーナ大使館から査証(visa)ももらった(図5)。「オレはvisaが必要な国には行きたくない!!」と言う人がいるが、他人は他人(ヒトハヒト)。出発前日には毎回、筆者が一番好きな果物であるビワを家族が用意してくれる。これは、もしかして「末期(まつご)のビワ!?」。
現地での調査があるため、長靴やスコップやハンマーなど荷物がやたらと多い(図6)。このため、ヨーロッパで一泊するための経由地を荷物のみスルーさせる。成田で荷物を預けるとあとは身軽で気楽になるが、一人なので、初めてのときは何となく緊張感があった。幸いなことに、配分された研究費でビジネスクラスに乗れることになっていたので、荷物の重量限界もエコノミークラスよりたくさん持って行ける。ビジネスクラスなのでラウンジに行くと、一升瓶が2本逆さまになっている。人がいないのを見計らって、レバーを押して、空いたコーラのペットボトル何本かに日本酒を入れる。免税店でタバコをしこたま購入する。安い。搭乗直後には客室乗務員が「何飲む?」と聞いてくるので、必ず「スパークリングワイン(Sparkling wine、Vin effervescent)ください」と言う。これはいつものゲン担ぎ。離陸後の食事はかなり豪華で、高級ワインは飲み放題!! 食べ物や飲み物が出るたびに、画像を撮っておく。例えば、3週間~1ヶ月の出張であると、とくに後半は疲れ果てて集中力が落ちてくるため、画像は日記代わりになる。何本(何杯)ワインを飲んだか(どのぐらいまで憶えているか、あるいはどのぐらいで失神するか)を確かめるため、「正、正」の字で数えておく。

図5 在日ガーナ大使館から発給された査証.

図6 ガーナの長靴やスコップは大きく重いので, どうしても荷物が多くなってしまう. 帰りのカバンの中身はほとんど岩石のみになる.

 初めてガーナに行ったときには、KLMに乗ってアムステルダムのスキポール(Amsterdam Airport Schiphol)空港経由にした。その後もいくつかの経由地を試してみたが、ロンドン経由が一番便利と感じた。なぜならば、ガーナが独立する前の旧宗主国はイギリスだったので、前回の出張時にガーナで購入した携帯をロンドンで充電できる(BFタイプ)から。

4. ヨーロッパの都市からアクラ(Accra)まで
ヨーロッパからは、ほぼ真南に6時間半程度飛んでガーナの首都アクラ(北緯5° 33'、東経0° 12')に到着する。成田-バンコクぐらいだなぁと思ったりする。サハラ砂漠の上飛んでいると「あんなとこに道がある!!」とか「あっ、金床(かなとこ)雲の中で雷(稲妻)が光ってる!!」とかいろいろと気づく。アリタリア(Alitalia)航空を使ったときには、イタリア人の男性客室乗務員が筆者の横に座ってきた。何時間も一緒にワインを飲んだ。いいのか? サハラ(Sahara)やサヘル(Sahel、サハラ砂漠南縁の半乾燥地域)の上空(図7)で「Exiting!!」とか「Exotic!!」とか、二人で仲良く「キャッキャッ」言っていた。
図7 サハラ上空.
アラブ首長国連邦(الإمارات العربية المتحدة‎、United Arab Emirates、UAE)のドバイ国際空港(مطار دبي الدولي‎、Dubai International Airport)からガーナの首都であるアクラのコトカ国際空港(Kotoka International Airport)の便がお昼に着く以外、ヨーロッパからの便は暗くなってから到着する。飛行機を降りて歩く。何度も訪れると「あ~、また来ちゃったぁ」という気持ちになる。空港を出ると、そこには大勢のガーナ人がいる。例によって、荷物を持ってくれようとする。とにかくタクシーを見つけて、値段を交渉してホテルに向かう。最初は当時駐在の大矢徹治さん(図8)が出迎えてくれて何とかなった。2度目のときには、大矢さんと地形図を買いに町の地図屋さんに行ったり、ガーナ地質調査所を訪れたり、リンを含む鉱物を探しにガーナ国内を走り回った。いつもの早朝の飛行機で、研究サイトであるガーナ北部の人口第4位のタマレ(Tamale)に向かう(図9)。約1時間北に戻ることになる。タマレ空港(図10)に着くと、これまた「あ~、また来ちゃったぁ」と感じる。

図8 大矢徹治 博士(Accra市, 当時はJIRCASのアフリカ連絡拠点コーディネーター2)).

図9 Kotoka空港国内線出発カウンター.

図10 左上: タマレ郊外の上空. 右上: タマレ空港. 左下: 荷物の引き取り. ベルトコンベアーではなく金属パイプ. ガタンガタンといいながら荷物が出てくる. 右下: タマレ市内.

5. タマレ
 タマレで坂上さんと落ち合うと、今度は運転手さん付きレンタカーでタマレの西約15kmにある協定先のサバンナ農業研究所(Savanna Agricultural Research Institute、SARI、図11)に挨拶のために向かう。何度も訪れると、所長さんや部長さんにギュッと抱きつかれ、「いいの見つかったかぁ?」とか「今度はどこ行くんだ?」と言ってくれる。ありがたい。調査開始。


図11 タマレ, SARIおよび調査サイトの入口であるダボヤ(Daboya)町の位置.

6. ダボヤ(Daboya)
 SARIからさらに西へ赤い土壌のデコボコ道(図12)を40km程度行くと、突然、橋のない白ボルタ(White Volta)川にぶつかり、向こう岸に行けなくなる(図13)。向こう岸がダボヤの町。車を置き、渡し船に乗ってダボヤに入る。英語を話せる運転手さん付きのバイクを確保する。みんなジロジロこっちを見ている。ナゾの東洋人だと思っているんだろう。運転手さんに「私の顔はヘン(strange)か?」と聞いてみた。即「変!!」と返ってきた。フン!! あなただって日本に来たらかなり目立つよ(心の声)。まずは、ダボヤ周辺の約40ヶ所の酋長(Chief)を束ねる大酋長(Big chief)のところに挨拶に行く(図14)。もちろん日本からのおみやげを持って。大酋長から「今度来るときには、お前が今履いている長靴を持ってこい!!」と言われたこともある。アノ真っ赤に充血した眼で命令?されると思わずパシリのように「ヘイ!!」と言ってしまう。
 ダボヤの町の中心 (図15)から、大柄な黒人の運転手さんの身体にギュッとつかまりながらバイクの二人乗りで、山に入っていく。途中、道とはいえないところも通って、1時間ぐらいで予定していた村に着き酋長や教師(teacher)に会いに行き、近くに露頭(岩石が露出している場所)があるかを聞く。ガーナではどんなに小さな村にでも必ず1人は教師がいて、生徒には制服もある。教育に力をかけていることは素晴らしい。しかし、学校を休ませて、街道沿いで物を売らせるなどの手伝いをさせる家庭もあり、問題となっている。多くの露頭から岩石(普通っぽい砂岩)を採取し、宿泊場所(図16)に持ち帰った。

図12 サバンナの中の赤い土壌のデコボコ道.

図13 白ボルタ(White Volta)川上流. 橋がないので渡し船に乗る. 対岸がダボヤ.

図14 大酋長(Big chief)への挨拶. 「こっち来い!!」と言われ, 筆者は正座している. 周囲の人たちは親戚などを含む取り巻き.

図15 ダボヤ町の中心.

図16 宿泊場所. バイクの運転手さんとタマレの薬局で買った防虫剤を染みこませてある蚊帳.

2度目にガーナに行ったときに採取した試料を帰国後、直ちに化学分析をしたら、Pを豊富に含むことがわかった。ある年の秋の夕方、2年後輩の小室光世くん(当時・筑波大学、現・富山大学教授、図17)が筆者のところに来てくれたとき「八田さん、ブラックライト当ててみましょうよ」というので紫外線を照射したところ、Pを多く含む部分がボーッと青白く光って(図18)二人で大喜びした。小室くんに「こんな岩石、持って帰ってくるの、八田さんぐらいですよ」と言われてしまった。確かに自分のカンで採取した。調べてみると、光っている部分は鉄白燐石(Leucophosphite)という鉱物を含み、この鉱物は、ほとんど研究されていないこともわかった。これをプロジェクトリーダーだった坂上さんに勤務先の研究所で話したところ「八田さん、露頭に夜行って、夜!! 絶対いいから。」、「ちょっと待って。よかねーわ。何考えてんだ!! 殺す気かぁ!! 夜は蚊の活動時間だぞ!! (←これは声に出して言いました。)」 でも、次の年、完全武装で夜行きました。露頭の部分部分が光って、確かにものすごくキレイでした。

図17 小室光世 富山大学教授(左). 大分県佐伯市木浦鉱山.


図18 紫外線を照射すると、Pを多く含む部分が青白く蛍光発色する. スケールは10cm.


粉砕すると物質の表面積は増加する。さらに細粉化すると最表面は結晶 (原子が規則正しく並んでいる) 状態ではなくなるので、性質が変わり、水と反応しやすくなることがわかった。肥料として使えるかもしれない。昼間はSARIの敷地内で採取した岩石を割る。宿泊場所では部屋を真っ暗にして、携行紫外線ランプを当て、濃く青色に光っている部分にマジックで印をつけ、翌日の昼間にトリミングした。このときの気温は約50ºC!!

6. ガーナ行きでの注意事項
 病気対策はもちろん必要だが、長く滞在したり、疲労がたまると気が緩む。筆者は、外出のとき肌を出さなかった。マラリアや黄熱病については、すでに述べた1)ので他の注意事項を記述する。
(1) 両替
ドルでないとGH₵ (ガーナセディ、Ghana cedi、GHS)に換えてくれない。それも$100でないと替えてくれないし、小額だとレートが異なるので損をする。帰国日が日曜日であると、銀行や両替窓口が閉まっている。一度だけ、日曜日であることを忘れていて、空港に着いてから気がつき焦ったことがある。ただし、コトカ空港の入口付近には、ヤミ両替が大勢いる。
(2) 携帯
 必需品。筆者はタマレで購入し、プリペイドカードを使用した。日本にもかかるし比較的安い。ガーナの人は、みんな持っている。日本の若者と同じで、みんな「一番大事なのは携帯」という。「充電はどうしてるの?」と聞くと「一週間に一回、電気のある村に行く」とか「酋長の村で充電させてもらう」という答えが返ってきた。一度、電気が通じていない村におみやげとしてポータブルソーラー充電器を持っていったら、まるで式典をやるかのように喜んでくれて、神様扱いされた。
一番ビックリしたのは東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の当日。夜8時半ごろで家の中を片付けていて電話も全然つながらない状態のときに、ガーナに出張していた坂上さんから電話がかかってきた。「日本大変なんだって?」「大変だよ!!どうしたの?」「帰りの飛行機がどうなるかわからないから出張変更のことで(当時の)理事の電話番号を教えて欲しいんだけど」という内容だった。こっちからしてみると「なんとまあ真面目な」、「なんとまあ呑気な」という気持ちがちょっとで、それよりも「こんなときによくまあ繋がったな」と思った。今でもタマレの運転手さんや他のガーナ人から「How are you doing?」などとかかってくる。
(3) 暑い
 35ºC以上になることはあまりありません、などと書かれていることもあるが、うっそだろー!? とにかく暑い。朝からやたらムシ暑い。筆者は寒いほうが苦手だが、ここまで暑いとキツイ。北の方がとくに暑く感じる。汗だくになるので、朝、ペットボトルやビニール袋入の水を買ってから出かける。当然、脱水症状になるため、寝ているときに足が「つる」ことが何度かあった。サバンナの草原を歩いているときに水がなくなり、「オレ、ここで死ぬのかなぁ」と思ったこともある。
(4) 夜の調査での出来事
バイクに乗せてもらって、ギュッと大柄な運転手さんにつかまって、いやだなぁと思いながら真っ暗な細い道を行く。1時間近く行ったとき、バイクのライトが壊れてしまった。ウソだろ~!?① 何をやってもつかない。しょうがないので、近くの電気のない村に行った。何度か調査で来ていたので知り合いは多い。酋長の家に行き、図々しいのだが「Please lend an electric torch (a flashlight)!!」と言ったら貸してくれた!! よく貸してくれたと今でも思う。運転手さんは懐中電灯を右側の耳の上にタオルで縛り、走り出してくれた。予定の作業(暗い中、ブラックライトでPを含む岩石の確認)を終え、帰路についた。20分くらい走ったところで運転手さんが言った。「I got lost the route!!」 ウソだろ~!?② こんなジャングルみたいなとこで死にたくない。近くにはノラ象やノラアンテロープやよくわからないノラ動物もいるし、なんといっても蚊もいるので野宿は怖すぎる。そのときハッと思いついた。GPS持っていたんだ!! 何度も来ていたので、すっかり忘れていた。確かめたら約600mも往路からずれていた。こうして、暗闇の中を2人でバイクを押しながら、高木や灌木の間を通り、何本もの倒木を汗だくで乗り越えていった。何とか元の細い道に戻った。さあ、帰れるぞと思った。甘かった。
ここの砂岩は、あまり硬くなく、風化して砂浜のような道になっている。バイクのタイヤがとられやすい。帰路はまず2回、バイクから飛ばされ転び落ちた。3回目はバイクが右脚に乗っかってしまった。ウソだろ~!?③ もうだめだ!!と思ったが、軽い打撲で済んだ。宿泊場所に戻ると、深夜にもかかわらず、地元の人が夜食を用意してくれていた(図19)。ありがたかった。誰かにインディ・ジョーンズ(Indiana Jones)みたいと言われたことがあるが、筆者は考古学者でも冒険家でもありません。


図19 夜食. ホロホロ鳥のゆで卵入り.

(5) 動物
 ヤギがたくさんいて、道路を遮ることなどはしょっちゅうである(図20)。狂犬病や破傷風などの予防接種はしてあるが、動物には触れないよう言われていた。先程の夜の調査で宿泊場所に帰ってから、蚊帳の中で寝ていたが、とにかく暑い。扇子であおいでも暑くて寝られない。ウトウトしているうちに夜が明けてきた。少し明るくなってきて、蚊帳の外を見ると部屋の中にヤギがいる!! 木の扉が完全には閉まらないので、隙間から入ってきたんだろう。蚊帳の中から「シッシッ」と長靴で追い払った。よかったと思っていたら、朝日が差してきて、扉のすぐ向こう側にいるヤギの影が映っていた。何となく怖かった。


図20 ヤギが行く手を阻む.

(6) 学会
 「ガーナに行くんだったら、ついでに国際学会で発表してきたらどうか?」とよく言われた。2回ほど経験した。1回目はスペイン南部のセビリア(Sevilla)での招待講演。講演料も€500くれるっていうし、何かあると心配なので、学会の開始よりも少し早く旅行を開始した。アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港(Aeropuerto Adolfo Suárez Madrid-Barajas)からアクラ行きが出ていないため、ローマに戻らなければいけない。このため、全行程は、成田→ローマ→マドリード→セビリア→マドリード→ローマ→アクラ→タマレ→アクラ→ローマ→成田となった。偶然にもトレド(Toledo) では聖体祭(Corpus Christi)が行われており、金の衝立も見たさに大聖堂の中にも行ったし、学会があったセビリアでは大聖堂(Catedral de Sevilla)の中でコロンブスの棺も見た。遊びすぎたのか、アクラに着いたときには、すでにヘロヘロでした。この経験を活かし、今度はトルコのアンタルヤ(Antalya)で開かれる学会をガーナの後にした。これも失敗。日本から来た学会参加者の5~6人と、2018年移転前のイスタンブール・アタテュルク空港(Istanbul Atatürk Airport、İstanbul Atatür)で合流した。最初に会ったとき、ガーナで疲労困憊して変わり果てボロボロなっていた筆者のことがわからなかったらしい。学会を先にしても、ガーナを先にしても、どっちにしろダメでした。それにしても約45年前に高校で世界史の勉強をもっとしておくべきだった。私の世界史は、十字軍(cruciata、crusade)で終わっています。

 (7) ファーストクラス
英国航空(British Airways、BA)で、日本からロンドンまで行くとき、搭乗する直前に、少し立場のえらそうな男性から「ダブルブッキングでファーストクラスのお席をご用意いたしました」と言われた。最初は信じられなかったが嬉しい!! 窓は2つ、かわいいポーチ付き、180度、高級ワイン飲み放題、よくわからない高級っぽい名前のついた料理のメニュー、一人幸せでした。最初はカツオのタタキから始まった。Heathrow空港に着いて外の喫煙所に出たときには、オレまだ酔ってると思いました。
 1年後、今度はガーナからの帰り。疲れ切って、アクラからロンドンに向かうとき、このときはエコノミーだった。隣りに巨大なオバサンが座り、狭いのなんの。それでも、白ワインをガンガン飲んだ。Heathrow空港には朝6時ごろ着いた。ラウンジに行ってシャワーでも浴びればいいのに「身体の中を消毒すれば問題ない」と考え、そこでも朝食のただパンやサラダと一緒に飲んだ。結局、ソファーで酔いつぶれた。「さあ、日本へはビジネスだ。楽しんじゃお」。と思って、搭乗口で待っていた。そうしたらBAの女性がでかい声で「Is Dr. Hatta here?」と言って筆者を捜している。またまた、ダブルブッキングで「ファーストクラス!!(図21)」。これで、オレも人生の運を使い果たしたかなと思った。「Dr.」になってるから安心だと思われたのかな?。例によって、スパークリングワインから始まり、白ワインとともに最初のファーストクラスお食事!! だが、飲んでいるうちにそのまま失神してしまった。180度にもせずに。ハッと気がつくと成田着陸まで30分!! 最初の食事とデザートを食べただけで、あとは何も食べずに眠りっぱなしだったことになる。起きたことに気づいたCAが「朝食、食べる?」と聞いてきたので「Yes!!」と答えたら、笑いながら「With beer or wine?」と言ってきた。喉が渇いていたのでもちろん「With beer!!」。到着が朝早かったし、採取した岩石を出したいので、家に戻らず、つくばの研究所に行った。研究所で「お帰りなさい」や「お疲れ様」とか言われたが、そのときに機器分析やその前処理を一手にやってくださっていた根本清子さん(本人の希望により画像はカット。ただし、唯一、公になっている画像がある3))が「八田さん、携帯や上着やノートはどうしたの?」と聞いてきた。「あっ、しまった!! ファーストクラスのロッカーの中だ!!」、普通は飛行機の席に自分用のロッカーなんてないが、そこに置きっ放しで忘れてきたのだった。いい調子で大量に飲んでいたのがいけなかった。でも、翌日BAから宅急便で届いた。
身勝手な結論です。「ファーストクラスは人間をダメにする。」 それにしてもBAのコンピューター (予約)システムは大丈夫なのかな?


図21 ファーストクラスの証拠. シートの番号は「01K」!!

7. おわりに
 ガーナでの調査における大変さについて、簡単に述べた。その後、前処理として日本で微粉状態にし、かなりPを濃縮させた物質をSARIの温室でイネ栽培のポット試験を行った。予察的ではあるものの効果は抜群で、数年前のSARIのMathias FOSU資源管理部長(図22)は大喜びで「君は第2のノグチになれる!!」とまで言ってくれた。心の中では「ならなくてもいいかな」と思った。体力が持たん!! 


図22 SARIのMathias FOSU元資源管理部長. アクラ行きの折り返し便が雷雨のためになかなか到着せず, 2人で5時間待っていたときにタマレ空港で撮影. このときコーヒーをおごってくれました.

研究の成果はいくつかの国際学会で公表し、しゃべった4-7)。しかし、試料はたくさんあるものの千葉科学大学に赴任して、多忙のため、圃場試験もせずにこの研究については中断している。このPを高品位に含む岩石中に入っている鉱物の化学組成もわかった。

[(K+)x(NH4+)1-x] [(Fe3+)y(Al3+)1-y]2[(OH)(PO4)2]7-・2H2O

という水酸化リン酸カリウムアンモニウムアルミニウム鉄二水和物であった。KイオンとNH4イオンとが1価どうし、FeイオンとAlイオンとが3価どうしでダブルの固溶体(複数の成分が互いに溶け合い、全体が均一の固相となっているもの)になっている。ガーナから持ち帰った試料の平均化学組成は、

[(K+)0.6(NH4+)0.4][(Fe3+)0.04(Al3+)0.96]2 [(OH)(PO4)2]7-・2H2O

であった。アレ!? 含窒素、含カリウム、含リンじゃないか。肥料の三要素みんな入ってる!! 栽培試験はうまくいったけど、これじゃ、何が効いたかわからないじゃない!!

【文献】
1) http://simric.jp/newsletter/simricvol7 (2020年3月3日参照).
2) 独立行政法人国際農林水産業研究センター(2010): JIRCASニュース, 58, 16p.
3) 八田珠郎・根本清子・町田雅武 (2013): X線光電子分光による固体試料分析の基礎,ぶんせき,2013-9,523-527.
4) Hatta, T. (2010): Study on crystal growth and control to improve soil fertility in West Africa, 2010 SEA-CSSJ-CMS Trilateral Meeting on Clays, Sevilla, Spain.
5) Hatta, T., Echigo, T., Nemoto, S., Sakagami, J-I., Komuro, K., Tsujimoto, Y., Oya, T., Fosu, M. Nutsugah, S. K., Shinohara, Y. and Yamada, H. (2011): Some phosphate minerals in Ghana, Euroclay 2011, Antalya, Turkey.
6) Hatta T. (2011): Contribution to the agriculture of the hydrous phosphate mineral discovered in Ghana, West Africa, 1st International Workshop on Clay Science and Technology, Seoul, Korea.
7) Hatta, T. (2012): Possibility of agricultural use of the potassium ammonium aluminum iron hydroxide phosphate hydrate mineral discovered in Ghana, West Africa, 1st M.O.V.E. Symposium: Materials Development Towards Innovative and Emerging Applications, Ilocos Norte, Philippines. 


3【学会からのお知らせ】

次回学術集会について
第5回学術集会についてのお知らせです。 
学会のウェブページでも、第5回学術集会に関する案内を公開いたしました。 
http://www.simric.jp/conference/
大会への参加申込みおよび研究発表申込みは、すべてこちらのウェブサイトより行っていただきますので、ご確認の上で、参加および研究発表を希望されるかたは、ウェブサイトよりの登録をお願いいたします。 ウェブサイトよりの登録が困難な場合は、学会事務局までご相談ください。 
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総合危機管理学会 第5回学術集会及び総会のご案内
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総合危機管理学会 第5回学術集会会長 佐藤和彦

皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
 さて、総合危機管理学会第5回学術集会について、下記の通りご案内申し上げます。本学術集会では関連学会はじめ、多くの方々にご参加いただき、活発な議論と交流の場として魅力のある集会を目指しております。今年も、企画演題の他、会員の皆様からの発表を募集しての一般演題発表セッションを企画しております。皆様からの、参加・発表のお申込みを心からお待ちしております。


会期:2020年5月23日(土)
会場:東京理科大学 神楽坂キャンパス(予定:最終決定次第改めてアナウンス
いたします)
参加費:会員 3,000円  非会員 5,000円  学生 無料
(※参加費等のお支払いは、学術集会当日受付にてお願い申し上げます。)
懇 親 会 費:5,000円
事前参加申込締切:5月15日(金)
一般演題発表申込締切:4月10日(金)
一般演題申込みについての詳細は、以下より参照ください。

お問合せ先:総合危機管理学会 事務局
〒288-0025千葉県銚子市潮見町3番
TEL:0479-30-4636 E-mail:info@simric.jp
<参加を希望される方は、大会ホームページ(http://www.simric.jp/conference)
の参加申込みのページより参加申込をお願いします。>

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一般演題発表のご案内
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以下の通り、一般演題発表の募集を行います。発表を希望される方は、締切までに発表の申込をお願いいたします。(発表申込みをもって、同時に参加申込みといたします)
一般演題の希望発表形式:口頭発表あるいはポスター発表(プログラム編成上の都合により、発表の形式が希望に添えない場合があります。あらかじめご了承ください)
発表時間:口頭発表15分(発表数によって多少の時間調整があります)またはポスター発表(昼食休憩時間を予定しています)
発表申込締切:4月10日(金)
申込内容
(1)発表題目
(2)発表者(筆頭発表者は本学会の会員であることが必須になります。)
(3)所属
(4)発表内容の要約(250字程度)
(5)希望する発表の形式:口頭発表・ポスター発表
  ※プログラム編成上の都合により、発表の形式はご希望に添えない場合があります。
(6)代表者の連絡先(連絡先住所、電話番号、E-mail)
発表要旨提出について:
発表者には、申込み後改めてA4版1枚(2段組2000字程度)の要旨を提出していただきます。執筆要領は筆頭発表者に別途連絡します。要旨の提出締切は5月7日(金)となります。
発表の申込は、学会ホームページ(http://www.simric.jp/conference)の、発表申込みのページよりお申し込み下さい。

※    新型コロナウイルス感染防止のため各種イベントが中止されている中、今後の感染拡大傾向の如何によっては中止や延期の可能性もありますことを、あらかじめご了承くださいますようお願いいたします。

4【危機管理にかかわる他学会、他組織での関連イベント・行事等】

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関連学会・関連イベント情報
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〇2020年 第3回 危機管理塾「東京メトロの危機管理」~自然災害対策とテロ対策について~
・主催:リスク対策.com
・日程:2020年4月14日
・場所:明治薬科大学剛堂会館ビル1階 第1会議室
(〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町3-27 剛堂会館ビル)
・詳細:https://www.risktaisaku.com/articles/-/23706

 

 

 ※ご住所や連絡先,ご所属や職名,書類等送付先の変更・訂正は,郵便,メール,またはFaxで下記の学会事務局までご連絡ください。
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総合危機管理学会 事務局
 千葉県銚子市潮見町3  千葉科学大学危機管理学部内
 email info@simric.jp, tel 0479-30-4636, fax 0479-30-4750
  http://www.simric.jp/